4日目[上ラダックその2] (7/20)

午前8時に出発。タクトク寺のお祭りのスケジュールが読めないので、まずはタクトクに向かう。途中、数十年ぶりに立ち小便をする。あの開放感というのはなんだろうね。
そういえば、前日の勉強会の復習ということで、シェイのすぐそばの磨崖仏に立ち寄った。
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結構古く、7〜10世紀のものらしい。中心は智拳印を結んでいる大日如来。あとは左から、宝生如来、阿しゅく如来阿弥陀如来不空成就如来。きちんとそれぞれの動物も描かれているよ。例えば、阿弥陀如来(右から2番目)の足元には孔雀が見える。この磨崖仏の道路のすぐ脇で、車がびゅんびゅん行き交っている。そんなところでまだ綺麗な状態で残っているのを見て、大事にされているんだろうなと感じられた。

タクトク寺 (Tak Thok Gompa)

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お祭り会場に着いた。これは新しいお堂。タクトク寺はニンマ派に属する。ニンマというのは「古い」という意味で、パドマサンバヴァを開祖とする。チベット密教をもたらしたとされ、8世紀後半の人物。このパドマサンバヴァ、宗派を超えてとっても人気がある。日本でいうと、役小角安倍晴明のような立ち位置か。腐女子以外に大衆への人気があるかどうか知らないけど。。こうしたお祭り(ツェツェと呼ぶ)では、このパドマサンバヴァの化身、8変化が出てくる。この新しいお堂にもパドマサンバヴァが中心に祀られてあった。この後、人はもっと膨れ上がる。我々も含まれるのだが人込みがすごい。特に欧米人が多い。有料の席に座っているのはほとんどが欧米人。特等席らしきところには日本人もいる。地元の人達は正装。みーんなとてもお祭りを楽しみにしているのがよく伝わってくる。
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午前10時スタートと聞いていたが、結局午前11時すぎに始まった。インド時間だ。
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こんな仮面をかぶった小坊主がお布施を強要して笑いを取る。強要された方は笑っていなかったけどね。。こういう時の欧米人はとてもケチで、断固として拒否する人たちもいて面白かった。

ブォーっていう低音が好き。ブブゼラは見習うべき。後半の仮面姿の踊りは、祭りを行うにあたってこの地の悪霊を鎮めている。

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お昼はタクトク寺近くの民家で、宿泊しているホテルが作ってくれたお弁当を食べる。ここでバター茶を初めて飲んだ。しょっぱいので驚く。炒った麦の粉をバター茶と混ぜて団子状にして食べる。お腹がたまるたまる。写真の畑は麦。
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タクトク寺に向かう。階段の奥に洞窟があって、パドマサンバヴァなどが祀られている。結構見ごたえはあったが、お祭りということもあってかなり混んでいる。また、僕はこの日ぐらいからお腹の調子が悪くなってきた。トイレへ急ぐ。。ちなみにこのタクトクが今回のツアーで最も標高が高かった場所。3800mぐらい。
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バスに群がる人々。このバスはマツダだ。ラダックで見かけた小型車のほとんどがスズキかヒュンダイ。トラックはタタが多く、一部トヨタ

チェムレ寺 (Chemrey Gompa)

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一枚くらい自分をさらしてみる。時間は順序するが、タクトク寺に向かう途中のトイレ休憩の際に、チェムレ寺をバックに撮影してもらった。山肌にびっしりと僧房が見える。
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チェムレ寺はドゥクパ・カギュ派に属する。レーにラダック王国の王宮を作ったセンゲ・ナムギャル王が中央チベットから招聘したタクツァン・レイパによって17世紀中頃に建立された。この白い帽子をかぶっている人がその方。
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パドマサンバヴァはここにも。ちなみにチベット語ではグル・リンポチェと呼ばれる。グルは「先生」、リンポチェは「宝」の意味。
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そしてパドマサンバヴァの周りにはその八変化が。とっても尊敬されている。
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カーラチャクラ。この守護尊は結構好きである。色彩がきれいだと思う。
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ゴンカン(護法堂)にはしばしばこのように動物の剥製がぶらさがっている。
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この方は誰だろう。忘れてしまった。釈迦の弟子?
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いくつかの文字が組み合わされている。なんと書いてあるのかわからないけれど、こういうの好き。


次のお寺に向かう途中、インダス川を渡った。結構流れが速い。橋にかけられた旗がカラフル。

ヘミス寺 (Hemis Gompa)

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この日、最後のお寺。ラダック最大のヘミス寺に到着。ドゥクパ・カギュ派に属する。タクツァン・レイパ3世によって建立された。ここの宝物館というか博物館がすごい。非常に裕福なお寺であったことが実感できる。博物館の中はカメラなどは持ち込み禁止なので、川崎先生の話をじっくりと聞くことができた。博物館を出る頃はお堂の閉館時間の18時近くであわててお堂に向かう。
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ここには大きなお堂が二つある。左のドゥカン・パルパという方は修復中。右のドゥカン・チェンモに参拝した。
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メモには記録がない。買ってきた本によると、名前はAyushpati (チベット語ではTsedag)と呼び、激怒している文殊菩薩とある。確かに剣を持っているけれど。。ヤマンタカの古い型、という記述も本にはあった。
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馬頭観音。よく見ると髪の毛から馬がのぞいている。wikipediaによると、馬頭観音はヒンズーではヴィシュヌ神の異名らしい。
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最後にちょっとなごもう。。ラダックではいたるところで、犬がこんな感じで日中寝ている。

これにて上ラダックは終了。5日目からは下ラダックへ向かう。

3日目[上ラダックその1] (7/19)

6:30に起床。昨日、国内線に積み込まれなかった荷物をホテルで待ったため、出発は10時頃だったかな。寝不足などの疲れが解消されたので、のんびりできて良かった。

シェイ (Shey)

16世紀にレーにラダック王都が遷都する前に都があったところ。8世紀半ばの吐蕃の崩壊の混乱の後、10世紀にラチェン・パルギゴンがシェイに都をおいた。シェイとは水晶の意味。
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昨日のピャン寺の写真と何が違うのか見分けるのが難しくなってきたかもしれない。。
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8個の仏塔がある。チョルテンと呼ぶ。8つの聖地を表している。ほとんどのお寺にあった。
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シェイ寺の壁画で、これは獅子吼観音(センゲータ)。珍しいらしい。
大乗仏教の祖とされるナーガールジュナや、他にもお釈迦さん、持金剛、阿弥陀如来などもあった。

ティクセ寺 (Tikse Gompa)

15世紀半ばに創建。ゲルク派ゲルク派チベット最大の宗派。成立は新しく14世紀で、ツォンカパが開祖。ダライ・ラマはこの宗派。ツォンカパの本性は文殊菩薩とされている。ちなみにダライ・ラマ観音菩薩の化身とのこと。あと、黄色い帽子をかぶっているお坊さんが描かれていたらゲルク派
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ティクセ寺の全体像。でかい。基本的に白色のところはたぶん僧房で、茶色がお堂。自動車でこの写真の後ろに回り込むとチョルテンがあった。お寺の中にレストランがあるのでお昼ごはんはそこでカレーを食べた。
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中庭にあった護摩壇。詳しくは忘れてしまったが、良いことをお祈りするときと呪い系とで護摩を焚く向きが異なるようだ。
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六道輪廻図。人間道、天道、修羅道、餓鬼道、地獄道畜生道。真ん中の円にある鳥・蛇・豚は、それぞれ貪瞋痴(とんじんち)の三毒を表す。多くのお寺のお堂の入り口にはこの六道輪廻図と四天王(多聞天増長天持国天広目天)が描かれていた。
お堂の中の写真はあまり撮っていない。ゲルク派の守護尊であるヤマーンタカがゴンカン(護法堂)にあった。ここのゴンカンも異様に怖かった。
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弥勒菩薩の大仏像。大きいよ。2階建ての建物の2階から参拝している。1980年に完成したようだ。
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大仏像の裏の壁画には如来の形をした弥勒が描かれている。水瓶を持っているのが弥勒像のポイント。水瓶には伝法の継続という意味が込められているらしい。

スタクナ寺 (Stakna Gompa)

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インダス川を超えてスタクナ寺へ。スタクナとは「虎の鼻」の意味。川を超えて、ぽつんとある小さい山の上にある。
スタクナ寺はカギュ派の一つであるドゥクパ派である。4日目に訪れるヘミス寺もドゥクパ派だが、本によると"別系統(ブータン系)"とある。なのでドゥクパ派の説明はヘミス寺で。
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これはなんだろう。。誰か教えてください。。マハーカーラ(大黒天)の一種? でも羽が生えているしなあ。。楔が強烈。
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チャクラサンバラという守護尊。この後の写真で出てくるカーラチャクラとの見分け方のポイントは左手に持っている梵天の首。女性パートナーと明らかに合体している。
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持金剛。腕を交差させて金剛杵と金剛鈴を持っているのが特徴的。

マト寺 (Matho Gompa)

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ラダック地方唯一のサキャ派の寺院。サキャ派は中国の元朝との密接な関係が特徴的。当時、チベットは軍事的にはモンゴルの支配下にあったが、チベット仏教国師に推戴されて王権儀礼を演出したらしい。チベットにサキャ寺という総本山がある。
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メモ書きには、カルキグンポ、サキャ派の守り神と書いてあるけど、、さて? 二日目のグル・ラカンで見たようなゲジゲジ眉毛に火焔がサキャ派の美術様式を伝えている、と言っていいのかな?
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メモには記していなかったけれど、たぶん金剛界曼荼羅のタンカ。大日如来ではなく阿しゅく如来が中心にいるようだ。
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四面の大日如来。メモには一切知大日如来と記してあるけど、さて、、どうやって見分けるのだろう。。智拳印をしていないこと?
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ただの千手観音ではない。よく見るとすべての手に目が描かれているので、千眼千手十一面観音だと思われる。
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ヤマンタカ。このような守護尊はお堂の入り口付近に描かれていることが多い。
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新しいお堂の一切知大日如来。手に持つ丸い鏡は王を表しているらしい。周りのたくさんの仏像で金剛界曼荼羅を表している。このような新しい像が作られるほど、このお寺は豊かなのだと思う。どのようにお金がまわっているのかガイドさんに聞けばよかった。。
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マト寺からの風景。中心の下よりに、お昼ごはんを食べたティクセ寺が見える。

動画。山の地層が大変なことになっている。

これにて3日目のスケジュールは終了。ホテルでの夕飯はもう覚えていない。カレーかなあ。確かこの日の夜に、川崎先生による勉強会が開催されて、チベット仏教の歴史や代表的な人物、金剛界の五仏、といった説明をして頂いた。特に金剛界の五仏は、あとあと曼荼羅を見る上で非常に役立った。

2日目 [ラダックのレーへ] (7/18)

午前4時に起床。レストランにて昨夜遅く関空から香港経由で到着した関西組の参加者7名と初顔合わせ。トーストなどの簡単な朝食を取って、デリーの国内線の空港に移動する。飛行時間は1時間ちょっとだけど、きちんとした機内食が出た。
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これはベジタリアン向けのカレー。朝だったからマイルドにしてみた。

レー (Leh)

デリーの空港で預けた荷物が飛行機に積まれていなかったというハプニングに遭遇。僕だけではなくツアー参加者全員の荷物を含む数十個の荷物が無かった。「もう荷物はないよ、何か?」という感じで手をふる係官の仕草が忘れられない。ツアーで良かったと心から思った。添乗員のNさんは大変だったと思う。。ちなみに荷物は翌朝届いた。

現地ガイドのスタンジンさんと合流して、いよいよラダック最大の街であるレーへ。まず最初にホテルにチェックイン。
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Namgyal Palace Hotelというところ。見た目新しいホテル。
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部屋からの風景。ちなみにここで標高3500mぐらい。急いで階段を登ろうとするとすぐに息切れがする。

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ホテルの前の通り。地方の静かな道という雰囲気の写真だが、これは朝だから。。実際には車はひっきりなしにクラクションを鳴らしながら通り、牛がフリーに闊歩する。

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真ん中に写っているのは、ラダック王国のかつての王宮跡。17世紀前半、センゲ・ナムギャル王によって建てられた。西チベットにあったグゲ王国を占領したり、ザンスカールを併合するなどして、レーを中心とするラダック王国の勢いが非常にあった頃のもの。右の小高い山にはお寺が見える。今回のツアーではどちらにも行っていない。

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休憩でお茶した時に撮った写真と動画。右端にイスラムのモスクが見える。仏教、ヒンズー、イスラムが狭い街に同居。生活に密着している宗教を否応なしに見せつけられる。動画をクリックすればyoutubeのサイトに飛んで、HD品質を見られると思う。しかし、縦長で撮影したのでありがたみはゼロだ。。大失敗。

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旧市街を歩く。街の入口のトンネル。左が観音菩薩で、右が弥勒菩薩らしい。川崎先生が非常に分かりやすく教えて下さる。

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このような二階建ての建物もあちこちで見かける。左の黄色が文殊菩薩。真ん中の白色が観音菩薩。右の青色が金剛手菩薩。よく見るとそれぞれの色で何か文字が柱に書いてある。こういう文字が読めれば面白いかなあと思って、iPhoneチベット文字の学習アプリを購入したけれど、全く身につかなかった。。

昼食はチベット料理。
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これはトゥクパだっけなあ。かなりの薄味。練り唐辛子を大量投入すると美味しい。あと、モモと呼ばれる餃子を食べる。

午後からいよいよ車5台に分乗して寺院めぐり。
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途中、インダス川がよく見える撮影ポイントに立ち寄る。来てよかったなー、と思った瞬間。このように水があるところだけ緑がある。

グル・ラカン(Guru Lhakhang)

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ピャン(Phyang)村。この後訪れる多くの村がそうあるように扇状地となっている。「風の谷」だなあ、と一人で感動する。

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小高い丘をぜえぜえいいながら登ると、今回の旅の最初のお堂にたどりつく。グル・ラカン(Guru Lhakhang)だ。15世紀ごろの創建らしい。

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最初に目に飛び込んできた壁画。ヘーヴァジラという守護尊。赤色を基調として、ギザギザ眉毛に火焔、というサキャ派の様式に則っているようだ。8人の茶吉尼に囲まれている。サキャ派については後述。ここのお堂は他にも薬師如来、釈迦、阿弥陀如来、持金剛、ターラー、大黒天などなどそろい踏み。ここには是非もう一度行きたい。

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真ん中の円筒状の釜は「プルカン」と呼ばれるもので、火葬に用いられる。

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で、遺灰の一部はこの小さな塔のように固められて納められる。「ツァツァ」と呼ばれるらしい。

ピャン寺 (Phyang Gompa)

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16世紀後半の創建。カギュ派。千手観音などいろいろあったのだが、グル・ラカンで少し興奮しすぎたせいか疲れて、あまり写真を撮っていない。印象的だったのはゴンカンと呼ばれる護法堂。お寺を守るための忿怒尊が祀られている。動物の剥製も中にぶらさがっているし、とても気安く写真を撮れる雰囲気ではない。

カギュ派には詩人としても有名なミラレパが属している。カギュ派自体がいろいろ分立しているのでややこしい。詳しくはこちら。
wikipedia:カギュ派 wikipedia:ミラレパ
時代的には11世紀頃なのでそんなに古い話ではないのでは?と思う日本人もいるかもしれない。実は僕もそうだった。空海が中国から日本に密教をもたらしたのは9世紀初頭で、学術的には中期密教と分類される。ラダックをはじめとするチベット文化圏にはインドの後期密教が直接伝えられた。そのため、日本ではあまり見かけない仏や美術様式がこの地には生きていて、それが魅力的なのだと思う。日本でもこの時代に浄土宗や禅宗など鎌倉仏教が花開いたので、両方分かる人が比較すると面白いかもしれない。

このあと、ホテルに戻って夕食。夕飯は中華料理だったかな?台湾から20人ぐらいの観光客が来ていたためだろうか。台湾ではチベット仏教が人気あるらしい。昔、清はチベット仏教を国教としていて、清が崩壊した際に多くのお坊さんが台湾に移動した。道理で静かな人たちだと思った。。

就寝。この夜はつらかった。ダイアモックスという高山病の予防薬を飲んでいるのだが、呼吸が苦しくなって何度も目が覚める。ちなみにこのダイアモックスというのは、処方せんが必要な面倒くさい薬。僕は近所の内科で出してもらった。副作用として利尿作用や手足のしびれを感じる場合がある。次の日の夜からは、半錠ではなく1錠まるごと飲むようにしたら気絶したように眠ることが出来るようになったがあまりオススメできない。服用するとかえって眠れなくなるという方もいらっしゃった。

1日目[成田からインドのデリーへ] (7/17)

午前10時に成田空港で集合。ツアーに参加するのは初めてだったのでドキドキする。成田からは参加者5名と川崎先生、添乗員のNさんが搭乗する。東京組は全員一人参加だったので少々驚く。確かに、僕の周りには、一緒に標高3500mの高地で仏像や壁画見まくろうぜ、と言って来てくれる友人はいない。。妻からも「高いところはいやだ」と言って断られたし。
というわけで初めてのエアインディアに搭乗。
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楽しみにしていた機内食。とてもおいしかった。どの航空会社もカレーにすりゃいいのに、と思う。

デリーの国際空港に到着後、空港近くのホテルへ。ホテルのレストランでまたカレー。
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マトンマサラ。マトンの肉は柔らかいしパクチーも大量。すばらしい。

インド・ラダック旅行記 (7/17-7/25) 1日目/2日目 [デリー、レー、ピャン]

勤続年数が一定以上になると受けられる長期休暇制度(サバティカル)を利用して、風の旅行社主催の「ラダックの桃源郷秘仏を訪ねて ー川崎一洋さんと往く・仏教美術巡りー」というツアーに参加してきた。インドというかチベット文化圏に行くのも、ツアー参加も初めてであったが、非常に充実した旅だった。

普段、神社には参拝に行ったり、関連本を読んだりしたことはあったが、仏教にはそれほど傾倒してこなかった。「孔雀王」という漫画を中学生の頃に読んだり、、大学生になって三島由紀夫にはまっていた頃、「豊饒の海」第三巻の「暁の寺」で大乗仏教のウンチクに触れた程度。最近は「聖おにいさん」がお気に入りだった (今回の旅行でかなり役立った。。)。いずれにせよ、系統だった知識は何も持っていなかったので、あわてていくつかの本で勉強した。で、疑問点は川崎先生にお会いしてからお尋ねしようという魂胆。。

ラダックは説明が難しい。インドの北東部で、インド、パキスタン、中国に囲まれた場所。現在は行政区分としてはインドのジャンムー・カシミール州なのだけど、チベット文化圏に属している。かといってチベットと同一というわけではなく、言葉も少し異なる。チベット自治区が(悪い意味で)漢化が進んでいるため、ラダックは「チベットよりもチベットらしい」と称されることもあるようだ。詳しくはこちら。
wikipedia:ラダック wikipedia:チベット
イスラム、中国、チベット、インドの歴史の理解ぬきでは、何が起きたのかよくわからなくなってしまうと思う。そういう意味では勉強のしがいのある奥深い場所といえる。


より大きな地図で インド・ラダック を表示
位置関係はこんな感じ。3つあるピンのうち真ん中のレーという街を拠点として、東端をタクトクとする上ラダックと西端をラマユルとする下ラダックを見て回る。点線な国境ラインが生々しい。

1日目 成田からインドのデリーへ (7/17)
2日目 ラダックのレーへ (7/18)
3日目 上ラダックその1 (7/19)
4日目 上ラダックその2 (7/20)

Ruby: Revactor

RevactorをRuby1.9.1で試したところ単純に理解しきれないところがあったのでまとめておく。
まずgemを用いたインストール。とは言ってもgem自体になれていないのでこちらのサイトを参考にさせて頂いた。id:taigou:20090202:1233579475

$ gem sources -a http://gems.github.com
$ gem install rev
$ gem install revactor

READMEにあるサンプルプログラムを動かしてみる。

require 'revactor'
myactor = Actor.spawn do
  Actor.receive do |filter|
    filter.when(:dog) { puts "I got a dog!" }
  end
end
myactor << :dog

"I got a dog!"と表示されるのを期待したが出ない。いろいろ調べると同じ問題をNewsgroupで聞いている人がいた。http://www.rhinocerus.net/forum/lang-ruby/68602-rev-actor-tcp-monkey-patching.html
最後に

Actor.sleep(0)

を付け加えれば、確かにきちんと表示されるようになった。Newsgroupの議論によれば

When doing anything with Actors, just remember you're "queuing up"
operations which will run later... later being whenever you call
Actor.receive. Actor.receive is the only way to defer control to other
Actors (keeping in mind Actor.sleep is just shorthand for Actor.receive)

上の例だとmyactorはspawnされただけなので、メインスレッドから何らかの形でActor.receiveが呼び出されないとコントロールがActor側に渡されないという事らしい。次のような形でも動作する。

parent = Actor.current
myactor = Actor.spawn do
  Actor.receive do |filter|
    filter.when(:dog) {
      puts "I got a dog!"
      parent << :foo
      }
  end
end
myactor << :dog
Actor.receive do |f|
  f.when(:foo)
end

サンプルとしては、tools/messaging_throughput.rb がより分かりやすいと思われる。
この後、よーしお父さんmongrelでベンチとるぞ、と意気込んだものの、mongrelのbuildに失敗する。Ruby1.9との相性が良くないみたいだ。1.9必須のrevactorのREADMEにはmongrelとの親和性の良さをアピールしているんだけど。。とりあえずmongrelやpassengerで試す前に、次はrevactorをsocketで試してみよう。