熊野三山参拝記 (9/13, 14) -1日目 本宮-

数年前からあこがれていた熊野へついに行ってきた。天気にも人との出会いにも恵まれ、大変心に残る旅であった。友人との男二人旅である。

日曜日の朝、羽田8:30発JAL1381便にて一気に南紀白浜空港へ。今後2日間カレーを食べられないことを想定し、羽田の喫茶店にてビーフカレーを食べた。離陸は30分遅れたが10時過ぎには空港に到着し、10時半には白浜のトヨタレンタカー事務所で諸事務を完了。


とりあえず白浜周辺の観光スポットを回る。ここは千畳敷。レンタカー事務所から5分程度で到着。「太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩です。このデコボコの岩畳は、第3紀層のやわらかい砂岩が打ち寄せる荒波に長い間浸食されてできたものです。」と解説にある。実物はもっと面白い。


三段壁(さんだんべき)。ここは必ず行っておくべき。高さが最大で41mあるらしい。福井の東尋坊よりも圧倒的に怖い。写真の右手の方に人がたむろっているが、あの辺まで普通に行ける。そして崖の端まで行って下を覗きこめる(できなかったけど)。元々は、漁師が魚群を見張る場所として「見壇」と呼ばれていたらしい。


三段壁から車で8分程度で白浜。まだ海は温かく、写真のように泳いでいる人たちがいた。とにかく海も砂浜もきれい。奥の方に見える鳥居は熊野三所神社。行きたい気持ちもあったけれど、今回は我慢した。詳しくはこちらへ(み熊野ねっとの説明)。東京からのアクセスのしやすさを考えると、白浜には家族を連れて来てもいいかもと思った。

以上で白浜観光は終わり。時間があれば熊野三所神社だけでなく南方熊楠記念館や田辺の闘鶏神社にも行きたかったのだけど、気持ちは既に本宮へと続く中辺路に向かって急かされている。いそいそとカーナビに今日の宿を目的地に定めて出発する。この時点で11時50分ぐらいだったかな。

本宮へと向かう国道311号をドライブするのだが、今回の旅で驚いたのは、とにかく道路がよく整備されていること。そして思った程山道ではないこと。当初、自宅で地図を調べていた時は奥多摩辺りのとんでもなくくねくねした山道をイメージしていたのだが、実際には河川敷が意外と広く開放感のある道だった。想像と全く違う風景を味わうのは旅行の醍醐味。それに、もっとみんなレンタカーを利用すべき、と思った。飛行機とレンタカーのコラボだと、羽田から3時間もあれば本宮に間違いなく着く。

あと面白かったのは道路のあちこちにある「那智黒」という黒飴の宣伝。他にも特産あるよね!?と突っ込みをいれたくなるほど、どこにでも広告がある。僕自身は黒飴はむしろ苦手なので買わないつもりだったのだけど、その圧倒的なマーケティング力にやられてしまい那智で買ってしまった。妻と娘には好評だった。


この写真は気分よくドライブしているときに「滝尻王子」の看板に思わず興奮して車を駐車場にとめて、国道311号線を撮ってみたもの。空が開けていたのが想像と違って心地よかった。


こちらが滝尻王子。構図がとってもいまいちなのはご容赦。ここから先が熊野の霊域とされて、熊野御幸ではこの場所で多くの芸能や歌会が行われた。熊野古道・中辺路の起点とされている。いつか歩きたい。中辺路について詳しくはこちらへ(み熊野ねっとの説明)。


結局1時頃、今日の宿である湯の峰温泉の湯の峰荘に着いてしまった。本宮大社にお参りした後に、大日越という熊野古道を歩いて湯の峰に戻ってきたい、という旨を伝えると、親切に湯の峰温泉の駐車場を教えてくれた。(湯の峰荘は湯の峰温泉の端の方に位置している) で、こちらが小栗判官のつぼ湯。小栗判官再生の地である。小栗判官の物語について詳しくはこちら (wikipedia)。熊野詣を語る上で時宗の存在は極めて大きいものがあるが、僕がこの話が好きなのは、時宗ハンセン病(癩病)といった当時穢れとされていた人たちも積極的に救済の対象とした点にある。そういった時宗の都合(?)をなんなく受け入れる事の出来た熊野の風土も大好きだ。

湯の峰から本宮までは、イメージしていたような凄まじい山道をバスで15分ほど。昼食後、熊野本宮大社の鳥居前で、み熊野ねっと管理人の「てつ」さんと待合せをした。「み熊野ねっと」の記事には今までも何度かリンクさせてもらっているが、熊野に関するあらゆる情報が詳細にまとまっている。熊野の風光明媚なところを説明するだけでなく、歴史的背景についても解説されているのがすごいと思い、これまでも拝見させて頂いていた。そんなおり、周りに影響されて再開したtwitterで、てつさんとお話しする機会を得て、さらに今回本宮にて直接お会いすることが出来た次第。ネットで出会った人とリアルに会うのは初めて、だったのだけど、これまでもネットでは話をしていたので初めてじゃないような不思議な感じがした。本宮内を一緒にまわって、気さくに多くのことを教えて頂いた。


とうとう来た。熊野本宮大社八咫烏の幟がある。神武天皇(伊波礼毘古命、いわれびこのみこと)の東征では、八咫烏は先導としての役割を果たしている。五来重著「熊野詣」には次のような記述がある。

・・熊野神道のように神武天皇東征伝説にでる八咫烏で説明することはいとも簡単である。しかしいまの歴史学の立場からいえば、神武天皇伝説の成立する七、八世紀以前から熊野と烏の関係はできており、この烏をミサキ烏というところから、神武天皇の嚮導者に仕立てあげられたというべきであろう。そうすると熊野でとくに烏が霊鳥視された原因として、別に葬制の特異性をかんがえなければならない。そして熊野には古墳時代の古墳が存在しないことから、風葬が卓越しており、そのためにとくに烏が神聖視されたものであろうと推測される。

ちなみに、日本書紀によると八咫烏は東征後、恩賞を受けている。その子孫は、葛野主殿県主部(かずののとのもりのあがたぬしら)というらしい。とりあえず、記紀以前から烏を神聖視し畏れるグループが熊野にはいたのだろう、という事にここではとどめておく。八咫烏と太陽とのつながりについても面白い話がある。確かに幟では赤い丸の中に黒い烏。詳しくはこちら(み熊野ねっとの説明)。


鳥居をくぐり階段を上ると、神門がある。本宮大社では神門内は撮影禁止なので注意。てつさんが社務所にかけあって下さり、プライベート用途では撮影を許可してもらった。もちろんここには載せる事は出来ない。
社殿は向かって左から次の通り。

  • 西御前
    • 第一殿 (結宮): 夫須美大
    • 第二殿 (速玉宮): 速玉大神
  • 証誠殿
    • 第三殿: 家津御子大神 (主神)
  • 東御前

第一殿と第二殿は相殿となっているので建物としては全部で三棟。後述するが、明治22年以前は本宮大社は別の場所にあった。水害のために現在の場所に移ってきた。本来は全部で十二殿あるのだが、第五殿以降は昔の場所(大斎原)に祀られている。てつさんによると、現在の社殿は水害前の建築材を再利用しているとの事。確かに古く見える。神門をくぐった目の前が本宮大社主祭神である家津御子大神を祀っている証誠殿。ちなみに礼殿は西御前の前にある。


本宮大社で牛王宝印(ごおうほういん)と御朱印を頂き、本宮大社が元々あった大斎原(おおゆのはら)へ向かう。この写真は途中にある伊邪那美命の荒魂を祀ってある産田社(うぶたしゃ)。てつさんに教えて頂いた。


そして産田社から大斎原を眺めたのがこの写真。とんでもなく大きいこの鳥居は日本一の高さらしい。平成12年に建てられて高さは33.9mとのこと。写真ではそう高くは見えないかもしれないけれど、近づくにつれてその大きさに驚かされる。鳥居の奥のこんもりとした森が聖地となっている。こちらも鳥居の奥は撮影禁止となっている。非常に清浄な雰囲気であった。一人旅だったら30分ぐらいぼーっと出来るような場所。本宮大社にお参りしたのならこちらにも行った方が良いと思う。


大斎原から熊野川に出てみた。このように非常に開放感あふれるところに旧社地がある。ずっと昔は大斎原のすぐ脇に船着き場があったほど川幅があったと、てつさんが教えてくれた。この熊野川と大斎原を挟むようにして流れている音無川には全く水はなかった。五来重著「熊野詣」によると、

・・熊野の御祭神は十二所あって集合祭祀であるから、熊野川、音無川、岩田川それぞれの上流から移し祀られた神々が、この三川合流の中州にあつまったことはまちがいあるまい。

これを背景とすると、本宮大社は昔、熊野坐(くまのにます)神社と呼ばれていて御祭神が熊野坐神(くまのにいますかみ)であった事をすんなり納得できるような気もする。ただ、現在の御祭神である家津御子大神とはどのような神様なのか、という疑問が自分の中では残ったままだ。平安時代前期の作とされる家津御子大神の神像(国宝)があること、平安時代前期から本地垂迹説(家津御子大神は阿弥陀如来を本地とする)が盛んになってきたこと辺りを今後の課題に残したいと思う。


てつさんに大日越の登山口まで案内して頂いた。ここでてつさんとは別れる。来年こそ長期休暇を取って再訪問することを約束する。案内して頂き本当にありがとうございました。お話しできて大変楽しかったです。


熊野古道・大日越の風景。実はこれは下りの途中で後ろを振り返って撮った写真。上りの途中、月見ヶ岡神社があったのだが、きつい上り坂で息が上がってしまい撮影どころではなかった。。友人がいなければ途中で引き返していた可能性もある。湯の峰温泉まで大体1時間かかった。湯の峰王子社跡にももちろん行った。


お世話になった湯の峰荘。清潔感あふれ、料理もおいしかった。温泉は長湯できるタイプで、草津のような攻撃性はない。間違いなく次回もここに泊まると思う。

というわけで一日目が終了。長い一日だったが、明日はもっとハードスケジュールだ。11時過ぎには就寝。